「お前じゃ話にならない、上を出せ」から始まったその電話は、1時間半続きました。途中で何度か保留にして、そのたびに息を整えて、また受話器を取りました。終わったあと、自分が何を謝ったのかは、もう思い出せませんでした。
この記事の要点
- 2026年10月1日から、カスタマーハラスメントへの対応が事業主の義務になるとされています
- 業種別の経験割合は調査回答者の結果で、全国の被害者数や現在の年間発生率ではありません
- 令和7年度に「顧客や取引先等からの迷惑行為」で労災の支給が決まったのは127件と公表されています
- 対応した日時・所要時間・言われたことを、その日のうちに短く残せます
- 業務情報を含む記録は、社外へ持ち出す前に取り扱いを確かめます
目次(10項目)

この記事に出てくる人物と会社は実在しません。報道や統計に共通して見られる経過をもとに、特定の個人が分からない形で再構成した架空の事例です。
名前を覚えられてから、変わった
その人が最初にかけてきたのは、商品の入荷が遅れたという問い合わせでした。事情を説明し、こちらの不手際があった部分は謝りました。そこまでは、よくあるやりとりでした。
翌週から、指名で電話が来るようになりました。同じ話が繰り返され、そのたびに前回の対応の粗さが指摘されました。声は次第に大きくなり、内容は仕事の話から離れていきました。
「その言い方は何だ。客だぞ。名前、覚えたからな」
店長には、そのつど口頭で伝えていました。返ってきたのは「まあ、うまくかわして」でした。悪気があったわけではないと思います。ただ、その言葉のあと、私は誰にも言わなくなりました。
制服を脱いでも、声が消えなかった
三か月目には、シフト表を見るのが怖くなっていました。その人が来やすい曜日を数えるようになり、前日の夜は眠りが浅くなりました。
家に帰って制服を脱いでも、あの声だけが残っていました。家族に話そうとしても、うまく説明できませんでした。何を言われたかは覚えているのに、それがいつのことだったのか、何回目のことだったのかが、自分の中で全部つながってしまっていたからです。
そのときに困ったのは、つらさを証明できないことではなく、経過を自分でも説明できないことのほうでした。
カスハラはどの業種で経験されている?
厚生労働省の令和5年度「職場のハラスメントに関する実態調査」では、過去3年間に「顧客等からの著しい迷惑行為」を一度以上経験した割合は全体で10.8%でした。業種別では、生活関連サービス業・娯楽業が16.6%、卸売業・小売業と宿泊業・飲食サービス業が各16.0%でした。
これは2024年1月のインターネット調査に回答した20〜64歳の労働者8,000人の結果です。経営者・役員・公務員は対象から除かれています。業種別の割合は、それぞれの業種の回答者を分母とする値で、8,000人全体の内訳ではありません。調査対象期間の経験割合を、2026年現在の年間発生率や全国の被害者数に置き換えることはできません。
調査では接客頻度が高い人ほど経験割合が高い傾向も示されています。ただし、業種の違いが原因だと断定する結果ではありません。業種別の数値が近い場合に、その小さな差だけで職場の危険度を順位付けすることも避けます。出典は訂正版概要版4ページ・21ページです。
経験割合・相談件数・労災支給決定件数は別の数字
経験割合は調査への回答、相談件数は窓口が受け付けた相談、労災支給決定件数は行政の決定を数えています。下で紹介する労災統計の127件を「カスハラを受けた人は全国で127人」と読むことはできません。受けた経験があっても、相談・請求・決定に至っていない場合は、その件数に現れません。
自分の業種の数字が低いことは、起きたことを我慢する理由にはなりません。相談の準備では業界の順位よりも、自分の担当業務、相手の要求、実際の言動、業務への影響を分けて説明します。
接客の場面ごとに、メモへ足したいこと
次は編集部が作成した記録の観点です。業種ごとの認定基準や、実際の被害報告ではありません。同じ接客でも、対面・電話・オンラインでは後から確認できる情報が違います。
- 売り場・飲食店などの対面対応:本来の問い合わせ内容、こちらが説明したこと、相手の言葉、対応を交代した時点、周囲の業務への影響を分けます。
- 電話・コールセンター:対応開始と終了のおおよその時刻、同じ要求が繰り返されたか、保留や上席への引き継ぎ、通話後に報告した相手を残します。
- メール・チャットでの対応:問題の一文だけでなく前後のやり取りを確認できる社内の保管先を確かめます。自分の記憶と保存された原文を混ぜず、顧客情報を個人端末へ移す前に社内ルールを確認します。
正当な苦情や、必要な配慮を求めること自体はカスハラではありません。要求の内容と、その伝え方・継続時間を分けると、単に「困ったお客様だった」と書くよりも状況が伝わります。対応に改善点があった場合も、分かる範囲で一緒に残します。
「長く怒られた」を、説明できるメモにする架空例
出来事:9月12日14時頃から約30分、商品の到着日について電話で問い合わせを受けた。現時点で確認できる配送予定を説明した。
相手の言葉・行動:「責任者に代われ」と繰り返し言われた。そのほかの正確な文言は覚えていない。14時20分頃、責任者への引き継ぎを依頼した。
影響と報告:通話中は予定していた発送確認を中断した。終了後、責任者に経過を報告し、次に同じ連絡が来た場合の担当者を確認した。緊張が残り、休憩を取った。
この例の日時・人物・出来事は架空です。実際には覚えている範囲を書き、「約」「不明」を残して構いません。後から思い出した内容は、追記したことが分かる言葉を添えます。記録のために対応を長引かせたり、相手を刺激して言葉を引き出したりする必要はありません。
2026年10月から、会社の対応が義務になる
2025年6月に公布された改正労働施策総合推進法により、カスタマーハラスメントへの防止措置が事業主の義務となり、2026年10月1日に施行されるとされています。あわせて、就職活動中の学生など求職者等に対するセクシュアルハラスメントの防止措置も義務化されます。2026年2月には、その防止指針が公布されています。
厚生労働省の説明では、カスタマーハラスメントは次の3つをすべて満たすものとされています。
- 顧客、取引先、施設の利用者その他の関係者が行う言動であること
- 社会通念上許容される範囲を超えた言動であること
- それにより労働者の就業環境が害されること
数字の面でも、状況は動いています。令和7年度の「過労死等の労災補償状況」では、仕事が原因の精神障害として労災の支給が決まった1,082件のうち、「顧客や取引先等からの迷惑行為」を出来事とするものが127件と公表されました。これは「セクシュアルハラスメント」と並ぶ件数で、「上司等からのパワーハラスメント」の222件に次ぐ位置にあります。
ただし、自分が受けた言動がこれに当たるかどうかを、自分で判定する必要はありません。お客様相手だから我慢するもの、という前提のほうが変わりつつある、と受け取っておけば十分です。
その日のうちに残せる4つのこと
相手のいる仕事では、その場で書くことはできません。休憩に入ったとき、あるいは帰り道に、次の4つだけ残す方法があります。
- 日時と所要時間(「1月18日 14:05〜15:35、電話」。おおよそで構いません)
- 対応を確認できる手がかり(勤務先で保管している対応記録の有無など。顧客番号などの業務情報は社内ルールに従って扱います)
- 言われたこと(覚えている言葉をそのまま。思い出せない部分は「正確な文言は不明」と分ける)
- 誰が見ていたか・誰に報告したか(同僚の名前、店長に伝えた時刻、その返答)
とくに「誰にいつ報告したか」は残しておくと後から効いてきます。会社に対応を求める段階になったとき、いつから知られていた話なのかが、経過として見えるようになるからです。
回数が積み上がる種類のできごとなので、1件ずつが短くて構いません。きろくねでは、記録した時刻が自動で添えられ、出来事を日時順に見返せます。やりとりのあとに短く残す方法もあわせて参考にしてください。
持ち出す前に、一度立ち止まる
録音や画面の保存を考えることもあると思います。顧客情報や業務上の情報が含まれるものは、社外の端末やサービスへ移す前に、勤務先の取り扱いルールを確かめてください。守るための記録が、別の問題になってしまうことがあります。
自分の手元に残すのは、日時・所要時間・言われたこと・自分の状態といった、自分に起きたことの側から始められます。
相談できる場所
まずは勤務先の相談窓口や上長に、口頭ではなく残る形で伝える方法があります。伝えた日時と相手、返答を記録しておくと、その後の経過を追いやすくなります。
社内では動かない、あるいは社内に言いにくいときは、全国の労働局や労働基準監督署内にある総合労働相談コーナーを無料で利用できます。厚生労働省の「あかるい職場応援団」には、カスタマーハラスメントの定義や企業向けの対策資料がまとまっており、会社に対応を求めるときの手がかりになります。
眠れない、出勤が難しいと感じる状態が続くときは、記録より先に受診と休養を優先してください。きろくねは記録を助ける道具です。診断・認定・法的な判断は行いません。
きろくねで、その日の記録と相談後の経過をつなげる
きろくねでは、メモを同じケースにまとめて時系列で見返せます。上の例のように、出来事・覚えている言葉・業務への影響・報告後の返答を文章で残せば、次の相談の前に経過を整理しやすくなります。録音できなかった日も、メモから始められます。
「次回は責任者が対応する」と返答があった日も、その後に対応が変わった日も、一つずつ追加します。相談後の書き方は社内相談の経過を残す方法も参考にしてください。iPhone版きろくねで、自分が残せる一件から始められます。
出典確認日:2026年9月10日。調査の経験割合と労災統計は対象・年度が異なります。きろくねは記録を助ける道具です。診断・認定・法的な判断は行いません。
よくある質問
- カスタマーハラスメントは、いつから会社の義務になるのですか?
2025年6月に公布された改正労働施策総合推進法により、カスタマーハラスメントの防止措置が事業主の義務となり、2026年10月1日に施行されるとされています。求職者等に対するセクシュアルハラスメントの防止措置も同時に義務化されます。詳細は厚生労働省の案内をご確認ください。
- どこからがカスハラで、どこまでが正当なクレームですか?
厚生労働省の説明では、顧客等による言動であること、社会通念上許容される範囲を超えていること、労働者の就業環境が害されることの3つをすべて満たすものとされています。個別の判断は勤務先や相談窓口に委ねられます。自分で線引きを決めなくても、日時と言われたことを残すことはできます。
- 電話の録音を自分のスマートフォンに残してもよいですか?
顧客情報や業務上の情報が含まれる場合があるため、社外の端末やサービスへ移す前に、勤務先の取り扱いルールを確かめてください。まずは日時・所要時間・言われたこと・自分の体調といった、自分に起きたことの側から残す方法があります。
- 店長に相談しても取り合ってもらえません。
いつ・誰に・何を伝え、どう返ってきたかを記録に残しておくと、その後に外部へ相談するときの経過として使えます。社内で動かないときは、総合労働相談コーナーで無料で相談できます。
- カスハラが多い業種のランキングで、自分の職場も判断できますか?
業種別の調査結果だけで個別の職場の状況は判断できません。対象者や調査時期、接客頻度などの条件を確認し、自分の出来事は具体的な要求・言動・業務への影響として整理します。
- 録音がなく、時間もうろ覚えの場合は何を残せますか?
覚えている言葉と、おおよその開始・終了時刻、対応後に報告した相手や返答を残せます。推測で埋めず、「約」「正確な文言は不明」と書き分けてください。記録が揃うまで相談を待つ必要はありません。
出典・参考
きろくねは記録を助ける道具です。診断・認定・法的な判断は行いません。危険やつらさが強いときは、公的な窓口や専門家への相談もご検討ください。